2010年02月17日
巴川の景色3

はるか昔
江尻宿が東海道53次の一つに指定され、徳川家康の命によりここに橋が掛けられることとなった。
街道はずっと山の方にあり、このあたりは街という感じではなく、橋は必要無かった。
近くに戦国の城があり、蛇行する巴川はかっこうの堀の役目を果たしていたのかもしれない。
今でこそ市街地には200~300mおきにあるが、1600年代初めのこと巴川にあまり橋は無かった。
故事が語り継がれている。
橋が完成し、渡り初めの代表が渡ろうとした、その時、
小さな子どものカッパが先導するように渡って、何処かに消えていった。
そんな故事にちなんで稚児橋(カッパ橋)と呼ばれている。
2001年新装なった橋には、欄干の4隅にカッパのブロンズ像が建てられています。
四つん這いになった河童。
頭に葉っぱをのせている 女の子のカッパ?
江戸時代、河川交通が盛んで巴川は重要な役割をしていた。
というより道路は未発達で、荷車を人力や馬力で運ぶよりずっと便利な道具だった。
港に直結している巴川は海からいろいろなものが運ばれたようです。
川沿いに集落ができ、やがて、生活物資や大きな荷物など船に乗せられ、
船が盛んに行きかったのだろう。
江戸時代、この橋の近くに代官所があり、川を中心にした行政が行われたことが想像できる
そして川縁に高札がかけられた。
平たく言うと掲示板だが、官報のようなうやうやしいものだったのだろう。
1.官船や諸国廻船を暴風の時は助船を出して難破させないようにすること。
1.船が難破してしまったら、近くの人は力を合わせて荷物を引き上げること。
引き揚げた荷物は褒美として何分の一かを与えると細かく割合などがきめられていた。
この河童を見てると、今よりもっと華やかで生活の中心だった当時の巴川が浮かんでくる。
Posted by bpyasu at 08:00│Comments(0)
│我が町の巴川